【大きなお友達向け】性善説ってなあに?【ビーコルブースター向け】


今週末の富山戦、何が何でもHOMEで勝つぞ!というわけで、「横浜熱闘倶楽部とのコラボ」に加えて「小学生を無料招待!」という海賊の秘技が繰り出されています。常に話題になり続けるってのは大変ですし、伝家の宝刀的なイベントをこの時期にやるのはまだ早いような気もしますが、いかんせんチーム状況がね。なりふり構っていられないし、夢める少女じゃいられない。えーと、「HOME6連敗中」という過去志向のネガティブな要素を、「HOME初勝利が見られるかもよ!そのためには会場に来て応援してね!」という未来志向のポジティブなメッセージしちゃうところが素晴らしいじゃないですか。


で、「小学生無料」のお話なんですが、ビーコル公式Twitterによると『小学生=「性善説に基づく自己申告」と「見た目」で判断されるみたい。でね、きっと今頃小学生のお子様がいるご家庭では「ねぇママー、性善説ってなあぁに?僕小学生だけど、本当にタダでビーコルを応援に行けるの?」って質問で晩御飯の準備もままならぬ状況だと思うのよね。
そんなお母さまお父さまを救うべく、今回は「性善説」について解説しようと思います。

性善説を子供に説明できるようにしよう!

性善説。まぁ一度は聞いたことありますよね。もう「性」っていう漢字を見てドキドキするお年頃は過ぎたんですが、小学生ならこの漢字だけで胸がときめいているかもしれない。「性」ですからね。「○っぱい」とか「お○ん○ん」とか、幼児性が残っている平仮名じゃなくて、おごそかな漢字の「性」ですよ。「男性」とか「多様性」とか「アルカリ性」とか、他の単語と組み合わせて使うと全然いやらしくないのに、「性」という一文字になった瞬間、うしろめたさ、触れてはいけない大人の世界、生命の根源、そんな雰囲気を漂わせる。ああ素晴らしき「性」。ああ美しき「性」。そんな「性」が「善」だなんて、小学生の僕には分からないと思うんだ。
「パパぁ、性って何?英語だとsexでしょ?sexがgoodな感じなの?それを自己申告するの?ビーコルって変態なの?」みたいなことを聞かれたら誰でも困るよね。ビーコルが変態ってとこだけは認めてあげてもいいけどさ。

真面目に性善説のお話を

えーと、何の話だっけ。性善説の話ですね。これ、昔の中国にいた孟子さんが唱えた考え方なんですが、現代日本人の一般的な感覚としては「人は本質として善だよ。だから放っておいても悪いことしないよ。」→「だから、人を信じるよ」みたいなニュアンスですね。「性」というのは人間の本性・本質って意味です。

ビーコルTwitterが伝えたかったことは…人間は生まれ持って「善」だよ。だから中学生なのに小学生だなんて嘘をついて試合会場にタダで入ろうとする人はいないよね。ビーコルはみんなを信じてるから!って感じ。

この性善説、そもそも「人は本質として善だけど、放ってくと悪を行うようになるよ。だから学ばないとダメだよ!」ってことがいいたいんです。ちょっと原文を読んでみましょうか。


孟 子 曰、「人 皆 有 不 忍 人 之 心。
先 王 有 
不 忍 人 之 心、斯 有 不 忍 人 之 政 矣。
以 不 忍 人 之 心、行 不 忍 人 之 政、治 天 下 可 運 之 掌 上。
所 以 謂 人 皆 有 不 忍 人 之 心 者、今、人 乍 見 孺 子 将 入 於 井、皆 有 惕 惻 隠 之 心。
非 所 以 内 交 於 孺 子 之 父 母 也。
非 所 以 要 誉 於 郷 党・朋 友 也。
非 悪 其 声 而 然 也。
由 是 観 之、
無 惻 隠 之 心、非 人 也。
無 羞 悪 之 心、非 人 也。
無 辞 譲 之 心、非 人 也。
無 是 非 之 心、非 人 也。
惻 隠 之 心、仁 之 端 也。
羞 悪 之 心、義 之 端 也。
辞 譲 之 心、礼 之 端 也。
是 非 之 心、智 之 端 也。
人 之 有 是 四 端 也、猶 其 有 四 体 也。
有 是 四 端、而 自 謂 不 能 者、自 賊 者 也。
謂 其 君 不 能 者、賊 其 君 者 也。
凡 有 四 端 於 我 者、知 皆 拡 而 充 之 矣。
若 火 之 始 然、泉 之 始 達。
苟 能 充 之、足 以 保 四 海、苟 不 充 之、不 足 以 事 父 母。


なんとなーく漢字を見るだけで、意味は小学生でも分かるかな。分かるわけないな。辰巳シーナちゃんならスラスラ読めるはず。で、ざっくり意味を書くとこんな感じ。

「人は誰でも他人の不幸を黙って見過ごせない思いやりの心があるよね。だって幼い子が井戸から落ちそうだったら、みんな助けるでしょ?憐れみの心(仁)、不善を恥じ憎む心(義)、人に譲る心(礼)、善悪を判断する心(智)、この4つの心は(四端の心)はみんな生まれ持って持ってるんだよ。だからその心は、みんな成長させることができるよ。みんなが仁義礼智の心を成長させれば世の中ハッピーハッピーになるし、しなかったら自分の親でさえも不幸にしちゃうよ。」

なるほどね、そういうことね。ビーコルの場合、1Qで体力を気にしてノーエナジーなプレーをする弱気な心、2Qで追い上げムードすら生まれないダラダラな心、3Qで逆転できない程度の反撃をするイケイケの心、4Qで勝負所できちんと負け切るガックリな心、この4つを成長・克服するって感じかな。ちょっと違うな。ま、チーム戦力としては編成時点で強いはずだから、きちんと成長させればビーコルに関わる全ての人が幸せになるし、しなかったらブースターも離れていくよ、って感じかな。ちょっと違うな。

孟子の性善説にビーコル的要素はないの?

ビーコルといえば海賊。海賊といえば海。海といえば水。というわけで孟子の「性は猶ほ湍水のごときなり」を読んでみましょう。


告子曰性猶湍水也
告子が言うには、「人間の本性はちょうど渦を巻いている水のようなもの」。

決諸東方則東流決諸西方則西流
この水を東の方に堤防を切れば東に向かって流れ、この水を西の方に堤防を切れば西に向かって流れるよね。

人性之無分於善不善也猶水之無分於東西也
人の本性に善と不善の区別をすることがないのは、ちょうど水が東西に流れる区別をすることがないのと同じなんだよ。

孟子曰水信無分於東西無分於上下乎
でも孟子が言うには、「水は確かに東西に流れる区別をしないけど、上下の区別はするよね」。

人性之善也猶水之就下也
人の本性が善なのは、水が低い方に向かって流れるのと同じなんだよ。

人無有不善水無有不下
人の本性が善でないことはなく(=人の本性は善だよ)、水は低い方に向かって流れないことはないよ。

今夫水搏而躍之可使過顙激而行之可使在山
そもそも水は、手でたたいて飛ばせば額を超えさせられるし、せき止めて逆流させれば、山の上に流れさせることもできちゃう。

是豈水之性哉其勢則然也
でもこれは水の本性じゃないよね。外から加わった人為的な力のせいだよね。

人之可使爲不善其性亦猶是也
人に不善を行わせることができるのは、その時の本性もこれと同じなんだよ。

つまり、人の本性は善だけど、外からの力で悪いことをしちゃうこともあるよ、ってことです。ビーコルもさ、選手はもちろんスタッフも含めて沢山の人の集まりだから、その本性もきっと善なんだろう。(プロ)スポーツ(チーム)にとって「試合に勝つこと」は「善」の要素のひとつなんだろうけれど、「試合に勝てない」ってことは何かしらの外からの力が働いているからなんでしょう。でもそんな力、働いてるかなぁ。もしかして「性善説」じゃなくて「性悪説」で解説した方が今のチーム状況にマッチしているんじゃないかなぁ。と思ったけど疲れたから今日はここまで。


ビーコルの場合、横浜国際プールがホームアリーナだけど、あそこって流れるプールじゃないよね。そこで波ができたとしても、それは人為的な力だよね。だから何だって言われても困るんだけど、横浜国際プールのアリーナ床下にある国際規格の50mプールを見つめながら、孟子の言葉を味わうのもたまにはいいんじゃないかな、っていうお話でした。

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