【歴史】横浜と沖縄を結ぶ物語ー鶴見沖縄ストリート


いよいよ明日12/25、ビーコルは琉球ゴールデンキングス戦です!26日は1F席が売り切れかな?チケットなくなる前にぜひゲットしてくださいね!イベント盛り沢山!Xmasですから。恋人がいるあなたは恋人と、恋人がいないあなたは片思い中のあの子を誘って文体へ行こう!吊り橋効果で告白成功間違いなし!

・12月25日-26日“琉球戦  @横浜文化体育館”、完売必至!ご予約はお早めに!!
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・12月25日(金)は「クリスマススペシャル」!
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・12月26日(土)は「Party B-COR」!
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25日はマリノスコラボデー!マリサポの皆さんもぜひ横浜文化体育館へ!マリノスユニ着て盛り上がるもよし、Xmasコスプレするもよし!対戦相手のキングスのチームカラーはゴールドなので、2015Awayユニはちょっとまずいかなぁ。いや逆にありかなぁ。ビーコルのチームカラーは紺なので2015カップ戦ユニとか。あるいは開港記念ユニだと海賊の手下感が出るかもしれません。
・「横浜F・マリノス×ビーコル」コラボチケットの販売が緊急決定!
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キングスは強いです。結果だけ見ればおかしいくらい強い。チーム創立9年目ですが、優勝3回準優勝1回。西地区のレギュラーシーズンでは初年度こそ5位でしたが、その後のカンファレンス順位は1−2−1−1−1−1−2ですよ。もう圧倒的に強い。ビーコルが優勝した2012−13シーズンもね、キングスは西地区を42勝10敗の圧倒的強さで1位だったんだけどプレイオフで5位の京都に負けたのよ。で、キングスのいない有明を制したのがビーコルだったんです。で、その優勝の立役者だったドゥレイロン・バーンズ選手は今キングスの主力。一方ビーコル青木勇人HCはキングス初優勝時のメンバー。ビーコルのルーキー喜久山選手は沖縄出身です。と、色々見所もあります。とにかく舞台は整った!キングスに勝つ!HOMEなんだから、2連勝!今のビーコルならできる!

横浜にある沖縄。鶴見の沖縄ストリートへ

と、バスケ的な話だけでもキングス戦は盛り上がるんですが、せっかくなので「横浜と沖縄ってすごい関わりがあるんだよ」っていうお話を今日はしますね。これさえ読めば明日からのキングス戦が100倍楽しめること間違いなし。「横浜にある沖縄」と言えば、鶴見の沖縄ストリート(リトル沖縄)。どうして沖縄が鶴見にあるんでしょう?百聞は一見にしかず、まずは行ってみよう!

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鶴見駅東口から徒歩15分ほど。仲通り商店街です。後述しますがこの辺埋立地なんで「平ら」です。

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沖縄タウン、なんだけど中華街のようにお店が密集しているわけでなく、沖縄料理屋さんが点在している感じです。で、まずは「おきなわ物産センター」へ。隣は沖縄料理の「おきなわ亭」。

 

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店内はコンビニ半分ほどの広さなんですが、所狭しと沖縄グッズ。沖縄来た感すごいです。でも鬼守備さんSPAMは苦手。

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シーサーも売ってます。サンスクリット語でライオン=「シンハー」。シンハービールのシンハーね。なお、鬼守備さんは獅子座です。がおー。

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テールとかミミガーとか冷凍で売ってます。卸もやってるみたいです。横浜の沖縄料理屋さんはここから仕入れているのかな。

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お店の裏に回ると、しっかりビーコルポスターが貼ってありました!チラシも置いてあったよ。営業に来たのかなぁ。ま、鶴見沖縄県人会会館 の1Fがお店なんです。

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で、お昼ご飯はやっぱり沖縄そば!ということでGoogle先生おすすめの「うちなーすば」に来たけど定休日!!!で、通りすがりのおじさんとちょっと「うちなーすば」について話をしたんだけど、話し方がめっちゃ沖縄の人でした。

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ってことでおきなわ亭に戻る。メニューが豊富!

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いただきます!ソーキそば、うまい!うまい!っていうか横浜にいるとは思えない。

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ちょっと歩いて潮田神社へ。町の歴史を知るには神社やお寺が一番。

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「大正初期、京浜工業地帯の一大発展に伴い、耕地整理・区画整理による街造りのため、大正9年、潮田神社と改称して潮田地区の中心地である現在地に鎮座されました」とのこと。

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で、ちょっと街をおさんぽ。黒猫さん。潮田神社の裏手にある「開運地蔵尊庚申様」にいました。「ねぇ、黒猫さん。ビーコルはキングスに勝つかなぁ」「勝つニャァ!」だって。

てな感じの鶴見・沖縄ストリート。で、町を歩くとあちこちに沖縄そば屋さん。そしてブラジル料理屋さんなんかも。沖縄ストリートでありつつ、南米ストリートでもあります。で、なんで横浜に沖縄・南米ストリートがあるの?って疑問に戻りますが、その前にちょっとだけ沖縄(琉球)の歴史を学びましょう。

沖縄(琉球)と横浜の物語

沖縄ゴールデンキングスじゃなくて、琉球ゴールデンキングス。江戸サンレーヴスじゃなくて東京サンレーヴスの逆版ですね。ちょっと違いますね。で、沖縄=琉球ってのはイメージとして皆さんご存知でしょうけど、その歴史をざっとお話しますね。

首里城

首里城(イメージ)

沖縄(とか台湾)は中国と日本の間にあるんですが、12世紀頃まではまぁどちらの国もあんまり認識してなかったみたいです。当時は飛行機があるわけじゃないからね。遠いよね。でグスク(お城ね)を中心に多くの集落があったそうですが、14世紀には3つの国にまとまります(三山時代)。で、1429年に3つの国が第一尚氏(ま、尚氏っていう王家みたいなもの)によって統一され(三山統一)、これが琉球王国のまぁ始まり。時代で言うと室町時代ですね。応仁の乱が1467年だからその約40年前のこと。

その後1462年には尚円王を始祖とする第二尚氏時代が始まって琉球王国の黄金時代を迎えますが、江戸時代になると1609年に薩摩の島津軍が侵攻。で、薩摩藩が支配しながらも中国に朝貢もしていたので、一応は琉球王国でしたが日本のような中国のようなファジーな感じだったんですが、明治政府できると琉球藩が設置され、1879年には廃藩置県で沖縄県になります。というわけで、琉球王国は1429年から1879年の450年間存在していたわけです。

沖縄はちょうど中国と日本の間にあるので、琉球王国時代から貿易の拠点でした。港町横浜、なんて言いますが150年の歴史ですからね。「港町」という意味では横浜より沖縄の方がずっと歴史が古いんです。ですからビーコルVSキングスは新旧貿易港対決、と言えるかもしれません。そして、横浜開港といえばペリーさんですが、ペリーさん実は横浜に来る前に琉球に行ってるんですよ。1853年に琉米修好条約結んでるんですが、この時琉球王国がペリーに歯向かっていたら、アメリカに占領されて今頃アメリカ領土になっていたかもしれない。そうなってたら今頃琉球ゴールデンキングスはNBAに所属しているかもしれません。ま、ペリーさんのお話については下記リンクをどうぞ。

【横浜開港と言えば】2015bjファイナルズをハマっ子目線で応援するなら滋賀説【あのお方】

で、なんで鶴見に沖縄タウン?の話に戻りますが、それを紐解くには明治時代になってからの沖縄の歴史を見てみましょう。そもそも18世紀の段階で、沖縄の経済状態は良くなかった。琉球王府自身の財政破綻&薩摩藩による締め付けがあったんです。沖縄の農村は生産力がそもそも高くなかったのに、人頭税やなんやらで農村は疲弊。明治時代になっても改善されることはなく、土地整理事業後、納税に苦しんだ人が土地の売却をよぎなくされハワイ移民に。1907年までには約4500人がハワイへ移住しています。で、ハワイに行くにあたっては横浜港から出航するわけですが、横浜まで来て移民になれなかった人(病気の検査だったり日本語のテストがあった)が鶴見や川崎に定住した、とも言われています。

で、世界は第一次世界大戦!その後の砂糖相場の高騰→暴落で沖縄はいよいよ大ピンチになります。これが1920年頃。で、昭和に入って1929年には追い打ちをかける世界恐慌!沖縄にとって、この大正末から昭和初期は「ソテツ地獄(有毒なソテツさえ毒抜きして食べなければならない)」と呼ばれる状況でした。人口の7割が暮していた農村部では米はおろか芋もない。多くの農民が野生のソテツを食糧にしたんです。そんな貧窮した状況でも国税はとられるし、台風も来るし、干ばつにはなるしで、もう生きていくのが大変。なので身売りが行われたり、海外への移民や本土への出稼ぎが増えていくことになります。

で、その頃横浜(というか鶴見)はというと、浅野総一郎が1913年に潮田地区の大規模な埋立事業を行い、埋立地である潮田地区には旭硝子や日本鋼管などの工場が進出。先ほど潮田神社の由緒書きにあった通りです。浅野総一郎が埋め立ててなかったら、潮田に沖縄タウンもなかったし、日本鋼管(浅野総一郎がつくった浅野造船所が日本鋼管の前身です)ができることもなく、小川GMも違う場所でバスケをやることになり、ビーコルが生まれることもなかったかもしれません。で、この埋め立て工事や工場建設の労働者として鶴見にやってきたのが沖縄出身者だったんです。その後1923年に関東大震災が発生すると震災復興の需要を受けてさらに沖縄からの移住が本格化します。

第二次世界大戦後、沖縄はアメリカ軍に占領されます。アメリカが支配してるので、沖縄出身者でも沖縄に戻れない。ハワイへの移住者や戦地からの復帰者は沖縄に帰ることができず、知り合いだったり血縁者がいる潮田に移住してきます。さらに戦後の高度経済成長で、金の卵とよばれる若者が潮田の工業地帯にやってきます。時代によって理由は様々あったんですが、鶴見と沖縄にはそんな移住の歴史があるわけです。

ちなみに潮田地区が南米南米している理由ですが、1990年(バブルだぜ!)の入管法改正が大きかった。日系三世単独での出稼ぎが可能になったので、1950年代に沖縄からブラジルやボリビアに渡った移民やその子孫が日本に出稼ぎに来れるようになったのですよ。てな背景があるから、仕事のある場所に日系人がやってくる→南米タウンになる、って流れです。

ま、ざっくりとした話をするとこんな感じです。ざっくりしすぎているので細かなところは間違ってるかもしれませんが、気になる方は図書館で調べてくださいね。以上、横浜と沖縄の物語でした!


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京浜工業地帯の父と呼ばれる浅野総一郎。鶴見の総持寺で眠っています。

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中には入れないので外から。法名は積功院殿偉業総成大居士。なお銅像は浅野学園の敷地内(JR鶴見-新小安間の丘の上)に建てられています。電車から見えるから知っている人は知っている。


・参考リンク
川崎と沖縄(PDF)
沖縄の歴史
浅野総一郎(東亜建設工業)
鶴見の産業
多文化鶴見の歴史と現在
「リトル沖縄」の 100 年を読み解く(PDF)
琉球文化アーカイブ
本土における沖縄県民の文化継承に関する研究(PDF)


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